第1講 講議資料


第1講 岡田の土蔵について 講議資料

報告の前に

 この会場にお集まりのみなさんの中には、幼いころに「黄金虫」という童謡を歌ったり、聞かれた方はおられませんか。作詞が野口雨情、作曲が中山晋平で、古く大正末期から沢山の人たちに歌い継がれている懐かしい童謡です。

 1 黄金虫は 金持ちだ
   金蔵建てた 蔵建てた
   飴屋で水飴 買って来た

 2 黄金虫は 金持ちだ
   金蔵建てた 蔵建てた
   子供に水飴 なめさせた

 黄金虫とは、ご存知のように金色を帯びた緑色の、体長2センチメートル足らずの昆虫です。植物の葉を害するためあまり好まれませんが、黄金のことぱの意味するものが、きんやおうごんに通ずるためか、雨情の生まれ故郷、茨城県北茨城市を含めて北関東では、〈黄金虫が出るとその家は栄える〉く黄金虫を箪笥に入れておくと着物がたまる〉という俗信があるそうです。黄金虫も地方によっては嫌われ者というわけではなさそうです。(昔、北関東では地威名で、ゴキブリ(油虫)をコガネムシと呼んでいたため、童謡の中のコガネムシはゴキブリだという説があります。)
 さて、話を本題に戻して、歌詞を見てみますと、一、二番とも水飴の件を除けば、「黄金虫は 金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた」の繰り返しです。この部分の歌詞は、「その名の通り黄金虫は金持ちだ。だから、お金が大層かかる蔵を建てることができたのだ。蔵を建てたんだ。」ほどの意味でありましょう。言い換えれば、「大金を費やす蔵の普請ができるのは、お金持ちの証拠」というような内容です。このような話は、昔はよく耳にしたものです。私自身も小学生のころ、母から「土蔵の普請は普通の家よりもうんと費用がかかるため、土蔵を持っている人(家)は、村でも、まちでも、商売で財を成したり、昔からの大地主さんたちくらいのものだよ。」と聞いた覚えがあります。ここ岡田でも、5年前の調査の折、ある人から「土蔵は昔は大地主、木綿問屋、明治以降は木綿業者(問屋、工場経営者)、晒し屋、仲介人らの人々が建てることが多かった。」と伺いました。しかも、「そうした人々の多くは農業を兼ねていた」とも伺いました。いわば土蔵や蔵は、ここ岡田においても全国と同様に、資産家や裕福層の富のシンボルであったわけです。
 私たちの調査では、岡田にはいまでも土蔵・蔵が山車蔵を除いて91棟あり、そのうち1棟を除いてすべて戦前以前の建築です。その昔の岡田の繁栄が偲ばれます。