数から見れば、木綿業とその関連の職業が最も多く、農業とその関連の職業が近差で続きます。この2つの分野で全体の58.1パーセントを占めています。江戸末期から昭和30年代の岡田は、まちの経済をまさに木綿業と農業で支えてきたことを証明しています。
なお、農業と記入した方の中に兼業として木結集関連に携わった方も沢山いたと伺いました。そうであれば、木綿業に関わった人の実数は更に多いと思われます。
その他の職業の内訳は、ご覧の通り多種多様であり、まちの人々が生活する上で、無くてはならない職業ばかりです。お気付きの方があるやも知れませんが、この中には医師かおりません。土蔵や蔵を持つような裕福な医師がいなかったか言いますと、実は1人おられたのですが、今回の調査については回答を辞退されたので、この集約の中に入っていないわけです。
不明の22人、2 5.6パーセントは数が少々多い気もしますが、@他家のものを購入したため、あまり聞いておらず、建築当時の職業が分からない。A都合で不明としたものも中にはあるのではないかと思われます。