第1講 講議資料


コメント
 86棟中道具蔵が48棟、55.8パーセントと全体の半数以上を占めます。
ただし、これを建築当初の用途と見るよりは、いまの所有者が道具蔵として使っていると解釈した方が妥当かも知れません。建築当初の用途は建て方で一応は判りますが、アンケートではそこまで詳しく尋ねておりません。当初は別の用途で建てられた蔵も含まれていると見ても良いのではないかと思われます。
 後に触れるように、岡田は明治中期から昭和30年代まで、2軒の大きな木綿問屋を核にして木綿業が栄え、商工業のまちとして発展してきました。とはいえ、岡田は本来農業を家業とする人が多いところでもあり、商工業者のほとんどは兼業農家として田畑を耕していたことは明らかです。そうした事情により、道具蔵兼米蔵が21棟、24.4パーセントを占めているのも納得できます。
 木綿蔵は現在でも7棟、8.1パーセント残っています。他に米蔵が7棟、
味噌醸造蔵が1棟、神明社の宝物庫が1棟、そしてめずらしいことに衣類蔵(?)
が1棟あります。