第1講 講議資料


◆ 岡田の土蔵には江戸時代以来の伝統的スタイル、すなわち大きく重厚な屋根、白漆喰の外壁、なまこ壁、石を積み重ねた基礎、漆喰を塗った土の扉、同じく窓扉など、すべてが備わった土蔵の数は多くはありません(岡田ではこれを「本格的な蔵」と言っています)。一方、.ほとんどの土蔵には、盗難対策のために出入口の扉には、錠の他、落とし錠の工夫が施してあります。

◆ 白漆喰の壁(白壁)や土蔵の外壁をそのまま見せている土蔵は少なく、大部分が黒い板で外壁を覆っています。主な理由は、@大雨や台風に弱い漆喰壁や土壁を保護するため。A外壁の補修には結構費用がかかるので、また、出費を抑えるため、はげた白壁を隠すために黒い板で外壁を覆ったようです(これを鎧囲いと言うそうです)。いずれにせよ、極めて実利的な理由です。

◆ 本来、漆腹壁であっても、軒裏やはちまき、時には外壁そのものが白ではなく、黒く見える土蔵があります。これは、戦時中この知多半島が名古屋を空襲する米軍機の進大路であったため、「目標となることを避けるため、カモフラージュせよ」との当局の指示かおり、その指示に従った結果だと伺いました。

◆ 私たちが見た限り、岡田には鏝絵を施した土蔵は残念ながら見あたりませんでした。また、他の地方に時折見るような、妻の白壁に屋号や家紋が描かれているものも見当たりませんでした。もしかすると、屋号や家紋は覆ってある黒板の下に隠れているのかも知れない、と思い岡田のある方にお尋ねしたところ、「鏝桧はある意味で名人芸であり、お金もかかるので、大資産家でないと頼めない。そこまで裕福な入はいなかったわけだ」との説明を受けました。次に、妻の白壁に屋号や家紋が描かれている土蔵があるかお尋ねしたところ、「岡田は街道筋でもないし、道行く入に屋号を宣伝する必要もない。まちの人々は、どこの家は何を仕事としているかは知っているので、屋号や家紋を猫くことはなかった」との説明かありました。そして「鬼瓦や屋根瓦に屋号や家紋を入れる家は相当数ある」と教えていただきました