第9講 地名と岡田(地名あれこれ)
講 師:久野 輿吉 氏 (岡田小学校教頭)
期 日:平成16年2月15日
会 場:大同高校知多分校
事業名:「岡田 歴史の告知板」 主催:大同高校知多分校
講座内容:地名(歴史・分類)知多市・岡田の地名 (パワーポイント)

はじめに
このお話をいただいたときに、岡田の方に岡田の地名の話をするということで、おこがましい話をお受けしてしまったなあと思ったのですが、研究していくうちに私自身も岡田のことを知ることができました。
また、いろいろな所を歩いたわけですが、どの方にも親切にしていただいて、岡田の方の人情に触れることができました。
歩いてみますと、岡田は大変広いなあと感じました。こういう機会を与えていただいてありがたく思います。
 岡田の地名考につきましては、「岡田を知ろう会」ですべて網羅して見えます。これだけ地域で、やっているところはないと思います。知ろう会では117の字名が調べてあります。本日は一部をお借りして説明してまいります。


地名と歴史
地名とは、息の長い文化遺産であると言われています。
万葉集に1100近くの地名が出てきますが、8割以上残っていると言われています。
柳田邦男先生は、「要するに二人以上の人の間に共同せらるる符号である。」とおっしゃっています。

・地名には漢字が当てられた(万葉仮名)        
 日本最初の地名は、6世紀初めに和歌山県橋本市隅田八幡神社の鏡の銘に「意紫沙加(おしさか)」「人物画像鏡」(国宝)とのっているそうです。現在は「忍坂」(おしさか)という地名で住宅地になっているそうです。

・和銅6(713)年地名が制度となりました。
「畿内七道の諸国は、郡、郷の名は好字を付けよ。」
  *「葦原」→「吉原」 「死野」→「生野」
 延長5(927)年「凡そ、諸国の郷里の名は、2字として必ず嘉名(めでたい名前)でとれ。」
  *中国をまねる「林」→「拝志」(出雲国風土記)