第3講 岡田の自然と戦後の農業
平成15(2003)年8月24日
於:大同高大大同高校知多分校
1.地図から見たローカルな岡田
(1) 行政区1・2・3・区(奥・中・里組)
明治5年、土地測量を実施し1/600の測量図を作る(これをまとめて「整理図」とする。明治9年、土地台帳整備で字名、地番を決める。…昔は、役場に「整理図」「土地台帳」は「土地宝典」とともに常備されていたが、今はその「整理図」が見当たらない。
長年親しんできた文化遺産でもあるネーミングが行政の意向のみで消えるのは寂しい。 |
(2) 狭い土地、大きな起伏、三方囲まれた盆地にあるまち岡田
○ 天然の適湿保持と繊維産業
○ 増大する時間降水量と開発行為 ― 市民への安全と安心チェック
○ 県道西尾知多線沿いの標高
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場 所
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標高(m) |
場 所 |
標高(m) |
知多郵便局付近 |
11.9 |
岡 田 橋 |
18.8 |
凱 旋 橋 |
16・1 |
庄太郎脇交差点 |
22.9 |
桜 橋 |
16.5 |
深田脇交差点 |
25.9 |
(3) 5連峰の実証「岡田村古代史」(竹沢保太郎著 明治28年刊)
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大山 |
江口山、向屋敷、太郎坊 |
11 |
東山 |
堂山、下ノ山、地極池 |
11 |
千樹山 |
西島、善坪、高根 |
7 |
向山 |
東泓、向山、南高根 |
7 |
佐々根 |
西、東違脇、吹込 |
6 |
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←地極池に岡田最高地点55mの標識(三角点)。山ノ神前。
周囲に古代名椿を植樹した。 |
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(4) 17世紀の新田開発 ― 米作り水確保による生活
年貢取り上げ増のため、江戸初期の慶長13年(1608年)に幕府は「備前検地」を実施。― 主席奉行・伊那備前守の名をとった検地。
農民は天然供給の効率の高い米作りに励んだ。
岡田では明和年間(1764から1771年)に農鍛冶が起こった。(新兵衛、吉兵衛)
農民は農閑期には黒鍬として三河、美濃へ出稼ぎに出かけ、水源の確保や土木作業に働いた。先人は知恵を出した。
@ 共有財産で現有する溜池 11ヶ所 85,290F
A 目的外転用地 4ヶ所 15,541F
B 土地宝典による個人溜池 212ヶ所(昔の資料では400ヶ所とも)
C 字蓮池山の水源と水利
共有溜池(吹込池)による受益水田 10,766F
個人溜池ならびに山林(涵養林)による受益水田 4,519F
〃 山林 4,541F
個人有野井戸:9 個人有マンボ:2 個人有サシコ:(0) |
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