第3講 講議資料


6.農業の組織と活動

(1) 農業協同組合の発足
 戦前の信用販売利用組合が、戦中は農業政策(供出、配給)の機関であったが、農業会に移行した。
 農地改革とならんで農民の自主的組織として、昭和22年10月農業組合法(農協法)が制定され、初代組合長として赤見松王氏が就任した。小生も発起人の一人として参加。貯蓄目標は500万円と記憶している。農協の下部組織として6つの実行組合が現存している。

(2) その他の組織

@ 岡田国民学校農業科・・・昭和18年頃は水田10a、今のプールの高台の所に123aの畑と、養豚2頭を飼育。ニカメイ虫の捕殺切り取り、松ヤニ採取(昭和15年)などに取り組む。実習中心であった。18年頃まで活動。
A 農士会・・・岡田国民学校農業科の榊原、稲垣、吉川先生たちが中心となり、10数名で研究会を作りつき1回で夜間に研究会を開いたり、自転車で先進地視察を実施した。その後、4Hクラブに移行していく。
B 自家用砂糖製造組合・・・昭和10〜22年頃まで活動。1個あたり10〜30kgの粗糖製造。近隣からも多数が参加した。
C 即売会・・・昭和2年、毎月4回農業会前で実施。出荷者は手板に名前を書き、技術員が値付けし、購入者が手板で決算する。昭和18年、配給制度の実施で活動は終わるが、今の朝市と同じと考えればよい。