7.農業改革と農地調整
昭和20年12月、連合国軍総司令部は封建的日本農村、農民の開放と民主化を一挙にすすめるため、「地主からの開放」、「農民の自主的組織の育成」、「化学的な農法・生産技術の普及」を主旨とする農業三法を位置付けた。
(1) 農地委員会の機能
昭和21年12月、選挙で小作5名、地主3名、自作農2名の農地委員を選出し、この10名で構成する農地委員会が改革機関として発足した。初代会長には自作農の竹内二郎氏が就任した。
昭和21年10月「自作農創設特別措置法」と「農地調整法」にもとづき、所有権限度(小作地70a、自作地2.2ha)を越える農地は、農業委員会が買収計画を決定し、政府が買収した。政府はこれを耕作者に売渡し、農家の自立に寄与することをめざした。
(2) 実態調査に先立って基礎資料の整備
農地小票・・・昭和19年から20年3月まで、供出の公平確保のため農業会がすすめていた農地小票を学徒動員で派遣されていた半田農学校生徒3名が土地台帳から転記した。これをもとに農家の自主申告、立札によって調査員が農地ならびに耕作者を確認した。
(3) 買収、売渡し計画の樹立
農地委員会は昭和22年3月から始動し、同23年12月までに農地に関する作業を完了した。元来岡田は農家一戸あたりの所得が小さいため、経営に必要な農業施設として宅地、建物、沼地、原野に至るまで開放を求めて買収申し込みがなされた。他の市町村ではこうした申し込みはほとんどなかったが、岡田ではこれを確認し、調査した上で厳正に対処した。
農地委員会は、昭和22年1月より25年12月までの間に661回開催された。この回数が事業の公正さを物語っている。今日、数多くの委員会が活動しているが、その中でもこの農地委員会ほど前向きな委員会を小生は知らない。GHQ指令と言えども、委員一人ひとりが公正さと潔白さを備え、各代表が高い意識を持ち、しかも相互理解によって委員会のコミュニケーションがはかられていたように思う。
売渡価格 賃貸価格
買収面積 25町3反5畝24歩 744円/10a 田 40円/10a
売渡面積 25町6反7畝16歩 338円/10a 畑 48円/10a