特別講 講議資料


★ひとが暮らす町は小さいもの、再生する町は小さいほうがいい★

ヨーロッパにはそこら中にあるのですが、いまだに11世紀からl7世紀の中世が息づく、人口たかだか数百人程度の片田舎の町や村の例と比較してみると、このことははっきりします。
所得水準は、日本の何分の一かなのですが、その土地で暮らす人々の、生活の豊かさや満足度は、比較にならないほど高水準なのです。観光で稼ぐ住民も、あまり見当たらないのに、年間何万人も、何十万人も、観光客が訪れる村もたくさんあります。それでも村のレストランの昼時には、村の人たちがテーブルを囲んで、カードゲームをしながら陽気にワインを飲んでいたりする日常です。とくにこれといった観光資源があるようには見えないのですが、村と、村の人々の中に、風土と歴史と伝統がそのまま生きていることが、最大の魅力であることは確かです。その土地を訪れた者だけが味わうことのできる何かを、小さな小さな村でさえ、いっぱい持っているのには、心の底から感心してしまいます。l〜2時間も歩けばひと回りできそうな村に、l日居ても飽きない何かを、みんな持っているのです。
これと同じような小さな町の、人が生きていることを実感できる、町づくりの例は、アメリカでも、あちこちで見ることができます。
観光案内にも、どこにも出ていないような小さな町や村が、訪れてみると、他のどこにも負けない、捨てがたい魅力を持っています。古いことを誇りにし、大事にしながら、今の時代の暮しと、とても上手に融け合っているのを見ると、何だかうらやましい気持ちになってしまいます。
古いものは脱ぎ捨てて、すっかり新しくするために、全国津々浦々まで、急速に、均質に、近代化を進めようとする日本、人間がどんなに努力しても、どんな技術を駆使しても、決して創りだすことのできない、歳月の積み重ねによってしかできないもの、長い時間の経過が磨き上げるもの、に最大の価値を見いだす欧米社会、その違いは、こんなところに歴然と現れてくるように思います。
「地域の経済の活性化」をキーワードにした、再生の町づくりの成功例が、驚くほど少ないのは、周知の事実ですが、実は、それにはとても本質的な理由があるのかもしれません。保全再生の町づくりを、短期的な経済効果と短絡させて、確実に成功を約束できる手法は、どうやらなさそうです。
数少ない成功例とされる、滋賀県長浜市の「黒壁」、栃木県栃木市、千葉県佐原市、長野県小布施町、などを、無数にある失敗例と比較してみると、あまりに短絡的で安易な「再生のまちづくり」との差が、はっきり見えてきます。
そこには「ホンモノでなければ通用しない」と頑固に主張するオーガナイザーがいます。外面だけ直したってダメだとも言い、人々の暮しの内面に深く関わろうとします。さらには、経済を追いかけたかったら、文化の担い手となるように主張します。そして何よりすごいのは、それを受け入れる市民が、そこに存在することです。