第8講 岡田の祭礼と木偶について
講 師:伊井 宏一 氏 (岡田奥組山車保存会会員)
期 日:平成16年1月18日
場 所:大同高校知多分校
事業名:「岡田 歴史の告知板」 主催:大同高校知多分校
講座内容:岡田の祭礼、山車、木偶について(ビデオ・実演)

はじめに
長年、岡田の祭りをやってきた。
知多市誌のお祭りの写真などは私が提供し、岡田町誌の編纂にも関わってきた。今回、講義のお話を受けるにあたって、悩んだ。
祭りとは何か、結論が出ていないが、ある人の言葉を借りると
祭礼は、神様と祭りに携わる人と見物人の三位一体があって成り立つもの。
ここで言う神様とは、心の中にある精神のことを言うのだろう。

尾張・名古屋の山車文化



岡田村は慶長11年(1606年)に誕生した。2006年が400年になる。
名古屋の城下町は慶長15年で、ほぼ同じ
山車を岡田では、祭礼車と呼んでいた。
昭和50年頃から、山車と呼ぶようになってきた。

もともと岡田で、だしと呼ぶのは、はな(のぼりざおの先端部分の花、山車の前台の屋根の左右の花)の部分で標具(だし)と書き、神様が降臨するときの目印となる。神様が降臨し、木偶に乗り移って動かす。