山車の最初は大八車であった。
元和の時代には、名古屋の方では、だしに人形をのせて動かすことができなかった。理由としては、殿様よりも高い位置に乗ってはいけない。見渡してはいけないので動かせなかった。しかし、このころには、岡田では既にやっていた。
「くるくるとまわる車をひきもせで、えっさもっさと・・・」という歌が残っている。明治の始めまでは、かついで持っていった。だから許されたのかもしれない
岡田では、里組、中組、奥組の山車の順番は競争だった。一番を競う。そのことで、その年の天候などを占うようなことになった。