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 祭礼は日々の労働が厳しく、娯楽が少なかった江戸時代では、最大の息抜きの機会、イベントであったことは岡田に限りません。岡田では明治維新直後までは慈雲寺の白山宮の祭礼として横須賀代官所の承認を得て実施していました。記録によりますと、祭礼日は旧暦の五月五日が長く、明治に入って同八月二日、あるいは同八月十六日でしたが、明治三十年に至って、村会が新暦四月十六日に決めました。春祭りの始まりです。今日では四月十六日に近い休日に実施しています。祭りの山車、囃子方、木偶などを見る限り、手間、暇、お金をかけた農村での年に一度の総合芸能大会であったと考えることができます。