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 岡田は江戸時代から、岡田狂言、矢田芝居と言われるくらい、狂言すなわち村芝居の盛んなところでした。村当局はこれを弊害と見なし、明治三十一年に禁止しました。
喜楽座は綿工業関係者の四十名ほどが共同出資し、大正十四年に開業しました。この開業によって、それまでの若者や町の人の不満が解消されたばかりでなく、他の町からの利用者も多く、町の活性化にも役立ちました。それ以来四十五年間、演劇、歌謡ショー、女剣劇、旅役者一行、地元青年団の演劇活動など、地域の文化センターとしての役割を十分に果たしてきました。
 残念ながら昭和四十五年に惜しまれながら幕を閉じました。