「ろ」
 江戸時代の後半、岡田には知多郡(半島全域)産の木綿を江戸へ送る木綿買継問屋が二軒ありました。中島七右衛門家(屋号・中七)と竹之内源助家(屋号・丸竹)です。江戸の木綿問屋との取り決め(約束)で、尾張・三河・伊勢の三国の木綿製品は、一度伊勢の白子湊に集められ、そこで千石船に積み換えられて江戸へ輸送する、ということになっていました。中七や丸竹はこれに従い、木綿を大野湊から白子湊へと輸送しておりました。
 この句は、知多産の木綿を船一杯に積み込んだ千石船を縁起の良い宝船に見立て、東へ、すなわち江戸へと船出する様子を詠んだものです。