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「め」 明治五年八月、政府は学制令を発布し、全国の町や村に自分たちの資金で郷村学校(後の小学校)を設立するよう命令を出しました。岡田では、六年九月、泉寿軒を校舎として琴峰学校と称する義校を設立。翌七年、岡田学校と改称されました。 当時、岡田には五ヶ所の寺子屋がありました。その名称、対象とする生徒と在籍者数、何を教えていたか、を順に挙げてみます。(注)@泉寿軒、奥・中両組の者、五十名、読みと書きと算術。A竹内佐右ヱ門宅、奥組の者、十五名、読みと書き。B慈雲寺、上記を修了した者、七名、読みと書き。C種徳庵、里組の者、十八名、読み。D安島義貞(尼)、女子、十五名、生花、以上。 ※注「知多市教育百年史」から |
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