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 岡田は近ごろ蔵のまち、坂のまちと並べて呼ばれることが多くなりました。その背景を調べると・・・。
大同高校知多分校の調査によれば、岡田のまちに続々と蔵が建ったのは、明治末期から昭和初期までです。この時期のまちは、綿織布工業の興隆期から戦前の全盛期に当たっています。木綿で財を成した人やお金持ちが競うようにして蔵を建てたわけです。現在、江戸時代のものまで含めて九十棟近い蔵があります。
 坂のまちと言うのは、五つの連峰(丘陵)の峰近くから集落ができ、村、町へと発展していった岡田の歴史を知れば、坂が多いことも納得できます。文四郎坂もその一つです。